青年会議所でよく言われる言葉に、「叱ってくれる」という言葉がある。大人になって、ましてや独立してから、こんなに叱られることになるとは・・・・でも、この言葉の意味を最近痛感している。
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正直、人に叱られるのが好きな人はそんなにいないだろう。
もっといえば、褒められたいと思うことはあっても、叱られたいなんて思う人はちょっと変わっているとすら思う。
だけど、叱ってくれる人がいるということは、まだまだその人に伸びしろがあることも意味する。
この団体に入ってから、本当によく叱られるようになった。
毎年毎年、違う人に叱られるのだけど、それは組織の構造がそうする。
たとえば、2014年度、私は清水委員長率いる広報委員会だったのだけど、そのとき、私は直接怒られる対象ではなく、清水委員長が全てを受けとめてくれていた。だから、私はJCをただ好き勝手に経験することができ、好き勝手に語っていた。
同時期に、稲岡副議長率いる拡大会議にも内部出向させていただき、拡大の面白い部分だけを味わうことができた。しんどい部分は稲岡先輩が受け止めてくれていたから、委員の僕は好き勝手やれていた。
JCでは、叱られない立場というものもあって、そういうときは好きなようにやっていけば良いのだろうと思う。
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2015年度、私は始めての委員長になった。
状況が一転した。
担当副理事長となった岩澤副理事長からは、想像もしていなかったほどに電話がきた。もともと電話が好きではない私は、それだけでもインパクトがハンパじゃなかったし、しかも通話が長い。たとえば1時間話していたとして、私が発する言葉は「はい」「ええ」「そうですね」「すみません」くらい。2時間話していても同じ。
けど、委員長になると、実際問題自分のことだけを考えていては叱られる一方なのだというのはよくわかる。私が自由勝手に動いていた委員会の幹事の頃、それをさせてくれているのは委員長だからであって、そうさせられるだけの責任があるのだと思う。だから、余程じゃないと委員長は叱られっぱなしなのではないかと思う。
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2016年度、二度目の委員長。
昨年の経験もあるのでスケジュール感は身についた感じがするけど、実際は叱られっぱなし。
担当の信澤事務局長にもかなりご迷惑をおかけしているけど、総務という立場になると、担当意外からもいろいろとお叱りをいただく。
でも、おそらく事務局長や専務はさらにそれを圧倒的に上回るお叱りを受けていて、さらに理事長ともなれば叱られなくなるかと思えば・・・やっぱり、あるらしい。
そんなわけで、このJCという組織は何故いろいろと学べるのかと言うと、徹底的に叱ってもらえる仕組みが整っているから、という見方もあるんじゃないかと思う。
同時に、人を叱れる人材にならないといけないのだとも思う。そのためには、自分のことだけ見ているようではダメで、もっと俯瞰できる人間にならないといけないのだと。
青年会議所は、まちづくりでリーダーシップを発揮できる人材を育成する場所、というのがいろいろ聞いてきた中で一つの正しい理解なのだと思うけど、なるほど、そう思う。
まちづくりをしようと思えば、事業を創れないといけないし、事業をまわすにあたっても地域でやる以上は地域のネットワークもないといけない。ネットワークだけでは足りず、一緒に取り組みをおこなおうと思えば厳しいことも言えないといけないだろうし、礼節を弁えていないと見向きもされない。
そんなわけで、叱っていただけることに感謝しつつ、でもやっぱり叱られるのはしんどいよなぁと思う今日この頃です。
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